横浜地方裁判所川崎支部 平成元年(ワ)240号 判決 1993年12月16日
原告
堀口道子
同
堀口忠夫
同
細谷信子
右原告ら三名訴訟代理人弁護士
林哲郎
被告
学校法人聖マリアンナ医科大学
右代表者理事
前田徳尚
右訴訟代理人弁護士
副聰彦
補助参加人
日本火災海上保険株式会社
右訴訟代理人弁護士
弘中徹
主文
一 被告は、
1 原告堀口道子に対し金一二四七万五四六九円、
2 同堀口忠夫、同細谷信子に対し各金三〇四万三八六七円
及び右各金員に対する昭和六三年四月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用はこれを一〇分し、その六を被告の、その余を原告らの各負担とする。
四 この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
一被告は、
1 原告堀口道子に対し、金二二九二万六三五〇円
2 原告堀口忠夫に対し、金五七三万一五八七円
3 原告細谷信子に対し、金五七三万一五八七円
及び右各金員に対する昭和六三年四月二〇日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告病院で、胃癌の手術を受けた堀口忠一(以下、忠一という)の死亡が、右手術後の被告病院の医療担当者らの過失ないし被告の債務不履行であるとして、右忠一の相続人である妻及び子供らが原告となり、左記損害の賠償請求がなされた事案で、忠一の死因、右医療担当者らの過失の有無等が争われた。
記
(1) 葬儀費 一〇〇万円
(2) 忠一の逸失利益から原告堀口道子の遺族年金等の収入を控除した残額
金三八六万三二〇四円
(3) 慰謝料 金二六四〇万円
(4) 弁護士費用
金三一二万六三二〇円(右合計の一割)
一原告堀口道子(以下、原告道子という)は忠一の妻、訴外佐々木順子、原告細谷信子、原告堀口忠夫の三名は、いずれも原告道子と忠一との間の子供である。
二忠一は、昭和六二年九月ころから、被告病院第三内科に、高血圧及び糖尿病治療の目的で入通院をしていたが、昭和六三年三月ころ、検査の結果、胃癌の疑いがあるので摘出手術を受けるように指導され、そのころ、被告との間で、右胃癌に関する診療契約を結んだ。
忠一は、同年四月一三日、被告病院第一外科の病棟に移され、同年四月一五日、同外科担当医らの執刀で、同日、午後〇時から午後六時過ぎころまで、全身麻酔のもとに、胃の五分の四を摘出する胃癌の手術及び胆嚢摘出手術を受け、その後、回復室に収容された。
三翌一六日、午後六時四八分ころ、被告病院第一外科の医療担当者らは、忠一の容態が、心停止、呼吸停止となり、脳死状態となっているのを発見し、蘇生術施行により、一時心肺機能は回復したが、脳死状態は持続し、四月二〇日、午前六時三六分、死亡した。
右一ないし三の事実は当事者間に争いがない。
四原告らの主張
1 忠一は、高度の混合性換気障害を有していたにも拘わらず、手術前、手術後の医療担当者は、これに対する適切な処置を採らなかった。すなわち、
(一) 忠一は、本件胃癌の手術前に、高度の混合性換気障害に該当する患者であることが判明していた。
(二) それ故、忠一の呼吸機能について、担当医師が、スパイログラム術前評価を、また、術後、直ちに動脈血ガス分析評価をしておれば、肺合併症の発症が確実であったことが事前に判った筈であるにも拘わらず、右処置を採らなかった。
(三) しかして、担当医師らは、術後、肺合併症発症の危険を予知し、これを予防するために、術後から抜管せずにレスピレーター管理を継続するか、体位ドレナージ、吸入療法、去痰剤投与、気管支拡張剤投与等の処置を採るか、術後集中治療をすべきであった。
2 忠一は、手術後、被告病院第一外科担当医師山村卓也、同水民和行及び数名の看護婦らの術後管理を受けていたものであるが、これら医療担当者らは、術後の忠一の容態(特に呼吸機能面)を絶えず観察し、異常を発見した場合は、適切な処置を採るべき義務を負うにも拘わらず、これをしなかった。すなわち、
(一) 忠一は、全身麻酔による手術を受けた(手術侵襲)直後であり、また、高齢(明治四二年七月二三日生)で、ヘビースモーカーであったから、当然、呼吸機能の低下が危惧される状況であった。
(二) 当日の午後二時ころ、鎮静剤(セルシン、ヒルナミン)の注射を受けたが、これも、呼吸機能の低下を招くものであった。
(三) 痰の除去は、看護婦が主に行っていたが、その喀痰排出操作(吸引、ネブライザー、体位変換、タッピング等)が不適切であった。
(四) 前記手術後、回復室に収容されたが、同室は、家族が待機している廊下からナースステーションを通じてガラス越しに見えるものの詳細は分からない。しかして、忠一は、右回復室において、ベットからの落下とか、腹腔内の挿管の抜け落ちの予防のため、ベットに手首(両上肢抑制)をくくり付けられていた。そのため、忠一自らによる体緊急事態発生時の連絡(ナースコールの押釦)も不可能であった。
(五) このような呼吸機能低下の状況で、前記医師、看護婦らの常時看視のないまま放置されていた忠一は、何らかの原因(喀痰の排出困難、誤飲等が考えられる)に基づく気道閉塞による換気不全から呼吸困難に陥り、死亡するに至ったものである。
五原告らの主張に対する被告の反論
1 忠一の術前の呼吸機能、肺機能の症状は、共に安定していたし、忠一は、術後も家族と親しく会話を交わす程であって、その症状は安定し、呼吸機能も、年齢からすれば普通の状態であって、特にその低下は認められなかった。
2 全身麻酔が呼吸機能を低下させるのは、術後、二、三時間程度であり、また、鎮静剤については、多少の影響を受けるといった程度であって、忠一の呼吸機能が、ある程度低下していたとしても、それは危険な状態ではなかった。
3 術後の忠一は、極度の興奮状態にあり(創痛及び術後高齢者の術後譫妄)、それによって生ずる危険を回避するため、身体を拘束されていたが(従って、仮に、忠一を身体拘束していなかったとしても、極度の興奮下にあった忠一には、必要に応じてナースコールによる通報を期待できる精神状態ではなかった)、排痰能力を有しており、自力で排痰したものを看護婦が介助・除去していたものであって、後記4のような忠一の状態に照らせば、誤飲等による気道閉塞は考えられない(排痰能力があれば、誤飲等の場合には、激しくむせ返るといった身体反応が現れる)。
4 当時、本件回復室には、忠一を含め三名の患者が収容されていた。そして、当日の担当者であった戸崎看護婦は、午後六時少し前ころから、忠一を除くその余の二名の患者に対し、必要な処置をなし(なお、この二名の患者は、当時、目覚めており、興奮状態にもなかったため、身体上の拘束を受けておらず、必要に応じてナースコールを自由に使用できる状態であった)、午後六時一五分ころから、忠一に対する処置に当たり、午後六時二五分ころ、その処置を終わった。そして、忠一に関するバイタルサイン、すなわち、血圧、脈拍、呼吸状態の安全状態(症状が安定していること)を確認し、更に、忠一の胃管カテーテルからの胃液の排出状況、尿カテーテルの状況、手術傷口からのドレーンの状況等を調べ、その安全を確認してから、忠一の許を離れた。
その後、右戸崎看護婦は、回復室の隣のナースステーションとは反対側にある重症患者の個室に行ったところ(それが午後六時三〇分ころであった)、右患者が大便を漏らしていたので、回復室の忠一の側を通ってナースステーションにオシボリを取りに行った。その際、忠一は、いびきをかいて眠っていた。そして、同看護婦は、オシボリを手にして再び忠一の側を通って前記個室に入ったが、その際も、忠一は、相変わらずイビキをかいていて異常は認められなかった。
同看護婦が、前記個室の患者に対する処置を終わって回復室に戻ったのは、午後六時四八分ころであったが、忠一のイビキが聞こえないので注意して診たところ、異常(心停止、呼吸停止)が発見された。すなわち、戸崎看護婦が、忠一の側を完全に離れていた約一〇分の間に、全く予想できない異常事態が発生したものである。
5忠一は、約一〇年程以前に脳梗塞を起し、その後遺症で半身不随の状態にあったし、更に、約二年程以前に意識不明の状態になったということもあり、また、現在、高血圧の治療中である。かかる忠一の既往症の存在や、本件胃癌とその手術に伴う侵襲、高齢(七八歳)といった肉体的状態の忠一に、何らかの原因が加わり、心停止か脳死、あるいはそれに近い状態が急遽発生し、それが呼吸不全ないし呼吸停止を招来し、その結果、痰が気管に貯留したものと推察される(肺合併症が死因ではない)。
6 以上の事実経過からも明らかなとおり、仮に、忠一に対する常時看視を怠らなかったとしても、かかる異常事態の発生は、全く回避できなかったもの(不可抗力)というべきである。
六争点
忠一の死因及び忠一の術後管理に関する被告の債務不履行ないし過失の有無並びに忠一、原告らの損害額
第三争点に対する判断
(忠一の死因、被告の術後管理上の債務不履行等)
一忠一は、昭和五三年ころの脳梗塞(約五〇日間入院)の既往があり、以後、下肢能力の低下が認められる(左足不自由、ステッキ使用するも介助不要)ものの、日常生活(食事、排泄、衣類着脱、保清、歩行等)には、さほどの不自由さはなく、また、三〇代ころから高血圧の傾向があり、血圧降圧剤を服用していたが、昭和六一年ころ、一時休薬中、突然四肢麻痺及び軽度の意識障害(脳梗塞の再発作)を起し入院(約六〇日間)したものの、点滴投与で症状軽快したという経緯がある。また、長期(二一才ころから約五八年間)にわたる喫煙者(一日約一〇ないし二〇本)であった(<書証番号略>)。
二忠一は、昭和六二年八月ころ、両下肢の浮腫が強く、持続するといった症状が発現したため、被告病院内科で外来受診した結果、糖尿病との診断を受け、以後、その治療のために、ダオニール(7.5ミリグラム)の投薬等を受けて、経過観察中であったが、その後、血糖値が一六〇ないし一八〇、体重も増加傾向にあり、コントロール不良が予想されたため、昭和六三年三月八日、右コントロール及び合併症の検査目的で被告病院内科病棟に入院・検査の結果、胃癌に罹患していることが判明し、同年四月一三日、手術のため、同病院第一外科へ転科するまで、被告病院第三内科の鈴木、岡野敏明、中川、赤沼卓各医師らの診療を受けた(<書証番号略>)。
三右岡野内科医の要請により、同年四月七日、同病院臨床検査部斉藤医師が施行した忠一に対する呼吸機能検査(スパイログラム・テスト)結果によると、VCの%PREDは67.4、また、FEV1.0%のACTUALは49.0、同PREDは62.3という数値であって、右検査結果の記載されている検査表(<書証番号略>)のコメント欄には、関医師の、「%VC、一秒率ともにかなり低下しています。Flow Volume Curveでは、閉塞性の変化が主体です。Chest X―P、血液ガス等を参考にして下さい。手術を御予定でしたら、術前に麻酔科に御相談下さい。」との記載が、また、その下部に、岡野医師の、「混合性換気障害」との記載がなされている。なお、右岡野医師は、忠一に関する内科カルテの退院時所見欄(<書証番号略>)に、「呼吸機能検査にて高度混合性換気障害を認める。」と記載している(<書証番号略>)。
四忠一は、同年四月一三日、被告病院第一外科の病棟に移され、同外科担当の山村卓也、水民和行両医師執刀の下に、同年四月一五日、午後〇時から午後六時過ぎころまで、全身麻酔(パンクロニュウム、フェンタニール投与)のもとに、胃の五分の四を摘出する胃癌の手術及び胆嚢摘出手術を受け(他の臓器、周囲リンパ節についての肉眼的転移数は〇)、患部の摘出に成功し、その後、回復室に収容された。
なお、被告病院第一外科には、ICU(集中治療室)の設備はなく、術後の管理、観察を要する患者は、回復室に収容(最多数五名)され、常時一名の看護婦が看視に当たっているが、右看護婦が他の仕事をすることもあった(<書証番号略>、証人山村卓也)。
その後、右回復室で、意識が戻った忠一とその家族との間に、簡単な会話がなされている(<書証番号略>、証人山村卓也)。
五なお、右手術自体に関し、右手術に当たった担当外科医師山村卓也、同水民和行や麻酔科医師らが、前記認定の忠一に関する過去の病歴とか年齢、内科医師らの前記カルテ記載の所見等につき、何ら参酌しなかったとか、手術自体不適切といった形跡を窺わせる証拠はないから、右手術は、担当医師らの裁量により適切になされたものと推認される(これに関しては、原告らも特に争ってはいない)。
六ところで、右手術後の四月一五日午後六時五分ころから、呼吸停止、心停止の状態になった翌一六日当日午後六時四八分前後までの回復室における忠一の症状、容態及び死亡に至る経過並びに担当医師らの対応は、次のとおりである(<書証番号略>)。
1 一五日午後六時五分
呼吸の型 胸腹式
胸郭運動 浅表性
呼吸音 clear
気道内分泌物マイナス(<書証番号略>)。
2 同午後六時三〇分
気管チューブ抜管
両肺エアー入りOK(<書証番号略>)。
3 同午後七時三〇分
両肺雑音ないが、胸腹式Rで浅表性(<書証番号略>)。
4 同午後八時一分
血ガス、四〇%O2にて、PO280.6(<書証番号略>)。
5 同午後八時三〇分
喉頭喘鳴聞かれる
喀出不良、左肺下葉に軽度雑音あり
6 同午後九時三〇分
いびき様呼吸
両肺エアー入り弱め
落ち着きなく、両上下肢バタバタ動かす
7 同一一時三〇分
両肺air入り弱め。やや胸腹式R
喀、吸引するもひけない
8 一六日午前一時三〇分
マスク内四〇%(ダイヤル五〇)=(酸素濃度をダイヤル五〇にして四〇%に保持の意)
息が苦しい
両肺共にair入不良
頭部upし様子みる
R規則的=(Rは呼吸の意)
顔面発汗
9 同午前三時三〇分
入眠中
10 同午前五時
入眠中
二二回/分=(呼吸数の意)
11 同午前五時四五分
動カテ抜去=(動脈血液中の酸素濃度検査のためのカテーテルの抜去の意)
両肺雑音ないが
air入り弱し
創出血なし
二八回/分
12 同午前八時=(術後一四時間経過)
DR山村飲水させ吸引
13 同午前九時一〇分
ルームairにてPO2 52.3=(酸素マスクを使用しない状態における血中の酸素濃度の意)
シオマリン二gピギー=(抗生物質の投与の意)
ネブライザー=(痰の排出を容易にする粉霧状薬の投与の意)
創痛なし(<書証番号略>)。
14 同九時三〇分から一一時
創痛、非痰時のみ 両肺下葉air入、不良
雑音マイナス しきりに手を動かしたり体動多く、落ち着きがない。
呼吸音‥ラ音マイナス 清なるも弱い 胸壁運動そんなによくない(<書証番号略>)。
15 同午前中
右胸部のX線写真を撮影(<書証番号略>、証人山村卓也)
16 同午前一一時から午後二時
O2 八リットル 四〇% ベンチュリ ーUSN=(ベンチュリーという酸素マスクを使用し、濃度四〇%の酸素を八リットル投与し、更に、排痰を容易にする粉霧状のUSNを同時に投与の意)
落ち着きなく、O2マスクをしてもすぐはずす。鎮静目的にて両上肢抑制
排ガスなし 腹鳴微弱
午後一時一〇分 セルシン一〇mg im=(筋肉注射の意)
午後二時 ヒルナミン一A im
セルシン効かずヒルナミン im(<書証番号略>)。
17 同午後六時
O2 八リットル 四〇% ベンチュリー USN
セルシン、ヒルナミン効果の為、いびきをかいて入眠中
採血時 苦痛表情あり=(採血は、糖尿病の血糖値検査のため)
18 同午後六時四八分
呼吸停止 心停止
呼吸停止発見 全身皮膚色不良末梢頸動脈触れず(<書証番号略>)。
19 同午後六時五〇分
挿管 サーボ装着 吸引にてゼクレート多量にあり、ゼクレート粘稠性=(ゼクレートは分泌物の意)(<書証番号略>)。
20 その後、被告病院医師らの蘇生手当等で、忠一の心肺機能は一時回復するも(忠一は、蘇生後、気胸を併発、同月一八日には緊張性気胸の症状を呈するも、脱気処置は採られていない)、いわゆる、忠一の脳死状態は持続し、忠一は、四月二〇日午前六時三六分死亡した。なお、水民和行医師が作成した四月二〇日付死亡診断書(<書証番号略>)には、忠一の直接死因を「呼吸不全」とし、右呼吸不全の原因を「胃癌」と記載されており、退院時要約カルテ(<書証番号略>)の評価欄には、「術後一日目、喀痰出困難による、呼吸停止、心停止となり、蘇生にて一時recoverするも、永眠となる」との記載がある(<書証番号略>、証人山村卓也)。
21 担当医師らは、忠一の死亡後、忠一の遺族ら(原告ら)に対し、「痰が喉に詰まって呼吸困難、心臓が止まった忠一を発見した。痰が詰まって窒息したことが忠一の死因である。」と説明した(<書証番号略>)。
22 忠一の死亡原因につき、脳梗塞ないし心筋梗塞の可能性を認め得る症状ないし検査結果といったものは存在しない(<書証番号略>、証人山村卓也、同今西嘉男)。
七右一ないし六の判示事実を総合すれば、
1 忠一の被告内科病棟入院時である昭和六三年四月七日の呼吸機能検査結果によれば、右当時の忠一は、拘束性及び閉塞性の二つの換気障害が重なった、かなり高度の混合性換気障害に罹っていた(<書証番号略>)。
2 また、一般的に、忠一のごとき高齢者の外科手術には、術後の肺合併症の発生頻度が増加するとされており(加齢とともに、他臓器と同様、呼吸予備能も低下し、また、回復力も弱くなる)、忠一についての右1の事情をも勘案すれば、その発生の頻度は、かなり高かったといえる(<書証番号略>)。
3 前記六2ないし11の、術後の忠一が回復室に収容された一五日午後六時三〇分は、両肺エアー入りOKで異常は見られなかったが、同日午後七時三〇分浅表性呼吸となり、同日午後八時三〇分咽頭鳴出現、喀痰流出不良、同日午後九時三〇分両肺エアー入り弱めであり、以後、一六日午後六時四八分の心肺停止に至るまで、両肺エアー入りの不良状態が継続していると見られること、一六日午前六時ころの呼吸数二八回/分も、頻呼吸と考えられること等から、忠一は、回復室に収容された一時間後以降、換気不全の状態にあったといえる。
4 前記六13、14の、忠一のPO2が、ルームエアーで52.3と判明した一六日午前九時一〇分から午前一〇時ころの忠一の症状所見及び同六15の、同日午前中に撮影されたと認められるX線写真(<書証番号略>。これを術前に撮影された胸部X線写真であると認められる<書証番号略>と対比すると、<書証番号略>の写真では、肺野全体が白っぽくて、空気の含量が少なくなっていることが読影される)に照らすと、忠一は、右午前九時一〇分ころの時点で、無気肺という合併症を併発し、呼吸不全の状態が悪化していた可能性が大であった(<書証番号略>、証人山村卓也、同今西嘉男)。
5 前記六6、14、16の忠一の症状(体動多し)も、術後譫妄による興奮状態(通常、手術後一日ないし数日の意識の清明期があった後、多弁、興奮、譫妄、幻覚、妄想等を主徴とした状態が数日間、特に夜間に続くとされている)というよりも、むしろ、換気不全による息苦しさの現れであったと推認するのが相当である(<書証番号略>、証人今西嘉男)。
6 前記16のセルシン、ヒルナミンは、いずれもトランキライザーであって、自立神経の作用を弱め、呼吸器疾患を有する患者に用いた場合には、時に呼吸作用を抑制する作用があるとされており、本件のごとく、五〇分間隔で注射したことは、呼吸抑制作用が相乗的に増加するという危険性もあった(<書証番号略>)。
7 すなわち、忠一は、長期の喫煙による気道内の繊毛運動の障害、術前の混合性換気障害に加え、手術侵襲、全身麻酔の影響により、呼吸不全を起こし、喀痰排出能力がかなり低下していた上に、鎮静剤による呼吸抑制の影響もあって、術後から心肺停止に至るまでの間に、徐々に溜まった気道分泌物の排出が困難となり、右分泌物による気管閉塞により窒息し、その結果、心肺停止に陥り、結局、呼吸不全が原因で死亡するに至ったものと推認するのが相当である(<書証番号略>、証人今西嘉男)。
8 したがって、少なくとも、前記六13、14の、忠一のPO2が、ルームエアーで52.3と判明した一六日午前九時一〇分の時点以降、担当医師らは、忠一の術後の呼吸機能や喀痰排出が、適切に行われているか否かを経時的、且つ頻回に確認すべきであったし、また、PO2の推移に注視し、その改善をはかるべく、動脈血ガス分析や前記六15の撮影済X線写真(<書証番号略>)の早期読影による現症状の把握に努めるとともに、まずは、O2マスクの装着、喀痰吸引器等の器具による喀痰排出操作が採られて然るべきであったし、更には、気管チューブの気管内挿管、レスピレーターによる人工呼吸の緊急措置も検討されて然るべきであったというべく、担当医師らが、右時点で右の措置を実施・継続していれば、忠一に、かかる呼吸不全は起らなかったと推認できる。しかしながら、被告病院担当医師らは、忠一に対し、前記六16の午前一一時に至って、酸素マスクの装着という措置を採るまでの間、前記緊急に必要と認められる措置を採ることをせず、また、他に何んらかの措置を採ったという形跡も窺われない(<書証番号略>)。
(なお、山村卓也証人は、『術後数時間経った後のPO2検査で、酸素マスク装着状態で80.6であったから、O2を吸入していれば、PO2がもっと良くなるであろうと考えて、前記六13の、PO2が52.3と低下し、良くないデーターであることを認識していたので、再度O2マスクを装着させた。』と供述するが、その前後におけるO2マスク着脱に関するカルテ等の記載は不分明であり、仮に、右供述のとおりであったとしても、O2吸入状態でPO2を再検し、どの程度状態が改善されたかの検査はなされていないのであるから、的確な措置は期待できなかったといわざるを得ない。)
9 結局、被告病院担当医師らは、術後の忠一の呼吸機能の回復状態についての注意が、充分にされないままであったという他はなく、この点で、被告病院に診療契約上の債務不履行ないしその使用人である被告病院担当医師らに過失が認められ、被告の右債務不履行ないし不法行為と忠一の死亡との間には、相当因果関係を認めることができ、被告は、原告らの後記損害を賠償すべきである。
(損害額)
一逸失利益
金三八六万三二〇四円
1 忠一(明治四二年七月二三日生)は、生前高校の教師をしていたが、昭和四九年退職し、以来、公立学校共済組合及び私立学校教職員共済組合からの年金で生活していたもので(<書証番号略>)、
(一) 公立学校共済組合からの老年者年金収入は、昭和六二年度で金二五〇万六八四二円
(二) 私立学校教職員共済組合からの退職年金収入は、右同年度で金二四万六九〇〇円
であった(<書証番号略>)。
2 忠一の妻原告堀口道子は、忠一の死亡により、いずれも、昭和六三年五月以降、
(一) 公立学校共済組合からの遺族共済年金として金一四八万円
(二) 私立学校教職員共済組合からの遺族共済年金として金一二万〇九〇〇円の支給を受けている(<書証番号略>)。
3 したがって、右1から2を控除した残金一一五万二八四二円に、忠一の平均余命(7.82)と当該新ホフマン係数(0.7142)を乗じ、生活費四割相当分(被扶養者は原告堀口道子一名)を減ずると、忠一の逸失利益は、計数上金三八六万三二〇四円となる。
二慰謝料 金一二〇〇万円
胃癌手術後の呼吸管理の過失で忠一が死亡したことにより、同人が多大の精神的損害を受けたことが認められる(<書証番号略>、弁論の全趣旨)。
右事実と本件において認められる忠一の病歴、年齢、家族関係その他諸般の事情に照らし、忠一の被った精神的損害に対する慰謝料は、金一二〇〇万円と認めるのが相当である。
三葬儀費用 金一〇〇万円
原告らが忠一の葬儀を行い、その費用として、原告ら主張の金一〇〇万円を超える費用を支出したであろうことは、充分に推測できるから、右金一〇〇万円を損害とし、そのうち、原告堀口道子において金七〇万円、原告堀口忠夫、同細谷信子において各金一五万円と認めるのが相当である(弁論の全趣旨)。
四弁護士費用 金一七〇万円
原告らが、本件訴訟の提起、追行を、弁護士たる本件訴訟代理人に委任したことは明らかであるところ、審理の経過、事案の性質、認容額等を総合して、本件事故と相当因果関係にある弁護士費用は金一七〇万円とし、そのうち、原告堀口道子において金一二〇万円、原告堀口忠夫、同細谷信子において各金二五万円と認めるのが相当である。
五原告らの損害
1 忠一の被告に対する前記一、二の損害賠償請求権につき、法定相続分に応じて、忠一の妻である原告堀口道子は二分の一、長男の原告堀口忠夫、二女の原告細谷信子、長女の訴外佐々木順子は、いずれも各六分の一を相続により取得した。なお、訴外の長女佐々木順子の六分の一の分については、平成元年五月二三日、原告堀口道子宛に債権譲渡され、被告宛にその旨の通知(同月二四日到達)がなされている(<書証番号略>)。
2 したがって、原告堀口道子の損害は、前記一、二の金一五八六万三二〇四円の三分の二の金一〇五七万五四六九円(一円未満切捨)と前記三、四のうちの同原告分金一九〇万円との合計金一二四七万五四六九円、原告堀口忠夫、同細谷信子の各損害は、前記一、二の金一五八六万三二〇四円の各六分の一の金二六四万三八六七円(一円未満切捨)と前記三、四のうちの同原告らの分各金四〇万円との合計各金三〇四万三八六七円である。
(結論)
以上の次第で、原告らの請求は、原告堀口道子につき金一二四七万五四六九円、原告堀口忠夫、同細谷信子につき各金三〇四万三八六七円を求める限度で理由があるから認容し、その余はいずれも失当として棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官根本久 裁判官伊澤文子 裁判官加登屋健治は転勤につき署名捺印できない。裁判長裁判官根本久)